生滅の機運高まる性の活

木曜日です。


連日の性の活であまりにも疲れていたものの、出社しました。

なんとか労(ツールによる死があった)をやり、社内微積勉強会をやりました。

最近、深のつらさの根源は何なのかということについて考えています。どうも深には、つよい環境を得るための社会力と、(end2end学習によってブラックボックス化された)ツールを使いこなすツール力の2つが必要なのではないかと思われます。特に後者に関してはこれまでもツールを使った応用問題に取り組んでいた人にはそれほど抵抗がなさそうですが、基本問題(形態素解析とかそういうの)が好きだったり、実装の効率化を考えるのが好きだったりする人にはつらい感じがします。というわけで深=社会+ツールであれば、ツールだけで済む通常の開発タスクのほうがまだ楽しいのでは、とすら思えてきます。よって最近は通常の開発タスクのちょっとした効率化を楽しむというような老人が盆栽をやるかのような状態になっています。これは一件つらいようでいて、社会力が不要であるため理想労に漸近していると言えます(もちろん20%ルール的理想労も存在しているが、残り80%も理想労でありたい)。

定時後に懇親の会がありましたが、定時退社しました(一切の残が許されないほどの疲れがあった)。


帰りの電車では、性の活の過程で紹介された小説を読み終えました(少しでも話しのタネをストックする必要がある)。労とは・・・性とは・・・生とは・・・という気持ちになりました。生滅の機運の高まりです。


帰宅後は出会いアプリをやりました。現世値が2に増えたものの、非失も2であり危険な状態です。

労性ツ生で失われた心を癒やすために最高のぴちぴちアニメ、ナナマルサンバツを見ました。よさがすごい(語彙の失われ)。


以上です。寝ます。