ゆるやかに性を感じる生がいい

火曜日です。


起床すると、スマホがネットに接続できなくなっている事件がありました。

あわや人生(a. k. a. twitter)へのアクセス手段が失われるかというところでしたが、そこはプロ(何の?)。

慌てず騒がず再起動して kotonaki でした。

再起動最強。人生も再起動したら性を得られるといったことがあってほしい。


出社後は、論文労(理想労)および開発労。

昼食で入った店でなんらかのキャンペーンが催されており半額でランチを得ることができました。よい。

人生(a. k. a. tw以下略)をしつつコードを書いていると、TL で結婚の話題が盛り上がっていてダメージを受けました。


性は、得られない間はダメージを受け続ける呪いのようなものなのです。

性に興味がない人がうらやましい・・・。

そもそも私もかつては性に興味がなかったのですが(これについては過去に日記に書いた)、ひとたび性に対する目覚めがあった以上はもはや性を得るしかない(得られない)。


以前、得性者に得性のわざについて相談したことがありました。性を得るには無のTV番組を視聴したり、「好みの芸能人」という概念を持つ必要があったり、集団でウェーイとやっている感じの写真を収集していたりする必要があるとのことでした。

このように自我を殺してまで性を得るべきなのか。性を得られない苦しみと、自我を失う苦しみはどちらが大きいのか。

性のやみは深い・・・。


性のやみで生命の危険があったので糖分を摂取し一命を取り留め定時退社。

帰りの電車では「R-18な彼女はどうやら経験値が足りないようだ」を読み始めました。ゆるやかに性を感じる作品。こういうぬるま湯のような性に浸かり続ける人生でありたかった・・・。


帰宅後は華麗に(?)ガンダムWを視聴。

寝ます。