人はなぜ労をやるのか、やれるのか

月曜日です。


有給なので、優雅に起床。労ショックに備えつつ穏やかに過ごしました。

ティーをやりつつ、ひまわりさん(積んでたやつ)を読みました。ちょっと見ない間に絵柄が変わったような感じがありましたが、単純に作中での時間が経過して登場人物が成長しただけかもしれません(記憶力のなさ)。

その後はニチアサ(プリチャン、はぷり、ジオウ)を見ました。


さらにワールドエンド・シンドロームの取りこぼし回収を楽しみました。結末を知ってから改めて登場人物の発話を見ると、これは伏線だったのだな、的なやつがたくさん発見されてよかった。


3連休によって知性が回復したため、途端に労に対する恐怖心が精神を支配しだめになりました。

労は、わるい・・・。4労であっても耐えられるようには思われません。

なぜ社会パーソンは労のような恐怖の場において "やりがい" を感じることができるのでしょうか。永遠の謎です。

寝ます。