せいよわが性を得るのはよいことだ

土曜日です。


連日の早寝の効果もあってか、爽やかな起床。

そのままピアノをやりました。

と、ここで異様な疲れの登場だッ!(謎の煽り)


そういうわけで(????)、ただちに横にならざるを得ませんでした。

横の構えで無限にDQ6をやりました。オリジナル版に比べると手取り足取り感がすごい。人生も手取り足取りされたい。

なんとか縦ポイントが回復してきたのでkaggle労をやりました。圧倒的なツールの動かなさで、今やっている方向だとだめだなという感じになりました。精度ではなく、ツールの動かなさで方針を変える羽目になるのは悲しいことです。


その後、魔笛を最後まで見ました。

パパゲーノ氏が性の得られなさで絶望して自Xをしようとしたら天から性が降ってくる、というイベントがあってすごかった。

なお、このパパゲーノ氏得性イベントには異様に長い尺が使われていて、作者の思い入れを感じました。

せいよわの得性は人類の悲願なので仕方ありません(????)。

それはそれとして尺がどうみても足りないのではと感じていたら、主人公が「俺は試練をクリアした!」みたいな宣言をしていきなり試練がクリアされたり、かと思ったら夜の女王が「私は主人公を倒そうと思ったら逆に倒された!」と宣言して勝手に滅んでそのままエンディングがはじまって終わりました(戦闘の描写は一切なかった)。

なんだったんだ・・・。

結局、せいよわの得性を描きたかっただけなのでしょうか・・・?

歴史に名を残す名作がやりたかったことは「せいよわの得性」。

これは覚えておく価値があります(????)。


異常です。

間違った、以上です(リアルタイム性のある記述)。

寝ます。