またしてもフラッシュバック(邪悪編)

土曜日です。


熱も下がったということでピアノを再開しました。

またdeep本の復習労(というか休んでいた間に社で進んだ部分を読んだ)と、予習労(次回発表担当なので)をしました。

その後はDQ6の隠しダンジョン攻略。オリジナル版に比べて幾分パワーアップしているようです。楽しい・・・。


ふとしたことからいにしえの時代の労のフラッシュバックがあり、すっかりだめになってしまいました。

フラッシュバックはわるい。

前職時代は労が邪悪なのは一部の社だけであって転に成功すれば邪悪は回避できると信じていました(それはそれとして邪悪でない社だったとしても働きたくはない)。

しかし実際に転に成功してみると、確かに入社時は邪悪ではなかったのだが時間経過で邪悪が発生してしまうということがありました。


なんということだ。

充分に社の情勢を調査し、また首尾よく適切な社に入れたとしても、その後の展開で容易に邪悪は発生してしまうのです。

この邪悪発生事件で私は労という存在に対する一切の希望が消滅してしまいました。

おそらくあらゆる社で邪悪が発生するわけではない。発生したとしても別の社に移ればよい。

それはそう。しかし転には膨大な時間と体力が必要です。邪悪が発生するたびに転をしていたのではとても身が持ちません。

そうなってくると生命の危険を感じるレベルにならないと転をする気にはなりません(前職の邪悪は生命の危険を感じるレベルだった)。

そして転をしないといけないレベルになり、かつ転に成功しなかった場合には「無職になってマネーが尽きたら死」というルートが確定してしまうわけです(死装置(タイプ:安楽)があればこれが最善なのは言うまでもない)。

幸い、現職での邪悪は私自身にほとんど被害を与えなかったのに加えて、その後しばらくして邪悪が消滅したため生命の危険を感じるレベルには至りませんでした。


そんなわけで今も転をせずにいるわけです。今のところは明らかな邪悪は顕現していないのでなんとか労をやれていますが、邪悪を生み出しかねない気配(過去日記参照)が時々感じられ、不安は高まる一方です。

そして胸に秘めた労の悲しみは、ふとしたきっかけで容易にフラッシュバックを引き起こします。

今日もまた、そのようなことがおこった。それだけのことです。

しかし、それだけのことが、あまりにも悲しい。

何もかも労がわるいのです。

労は、わるい。


以上です。

性も得られず、労のわるさに苛まれる人生にどのような価値があるのか?

ひたすら社会との関わりを避けてゲームをして暮らしたいものです。