人はなぜ性を求めて生きるのか

月曜日です。


台風が近づいているということもあり、体調が思わしくありませんでした。

しかし労は順調で、労の場の人々の協力を得てハード属性の労に成功しました(つよい)。

性の現世イベント(ラスト1件)があったために早めに社を去りました。


現世イベントは失われなのかそうでないのかはまだ明らかではないのですが、明らかに私自身の性への気力が失われているのが感じられました(感触としては適切な態度で臨めば性を得られる可能性があるが、適切な態度をやるだけの気力がないというところ)。イベント自体はこれまで同様よさがあったものの、家でDQ11をやっているほうが楽しいなという気持ちは隠しきれませんでした。しばらく性から遠ざかり、性への気持ちの高まりを待つしかないのでしょうか。

そもそも私は性に何を求めているのか。もはやそれさえもわからないのです。現世イベントもちょうどすべて終わったことですし、そろそろ潮時と言えるかもしれません。難易度・モチベーションの両面から言っても限りある生命の人間が性を得られる可能性は万に一つもなく、少子化どころか零子化もまったなしといえるのではないでしょうか。

性とはなんなのか。美とはなんなのか。人はなぜ生きるのか・・・


帰宅後は高難度音ゲーと噂のリステップを楽しみました。normal くらいまではなんとかなりそうなものの、 hard は厳しい印象。

また、DQ11もやりました。パーティも7人になり盛り上がってきました。そういえば twitter でバレを踏んでしまいました(悲しい)。カジュアルにバレ画像をツイしないでほしいものです。


以上です。失意の就寝です。