労の場は人の悪意を呼び覚ます

木曜日です。


悲しみの出社。

労はひたすら開発労でした。

帰りの電車ではしばらく意識が失われていましたが、途中で息を吹き返し「死神に育てられた少女は漆黒の剣を胸に抱く」を読み始めました。死神に育てられた少女が漆黒の剣を手にして大活躍するタイプの作品でした(自明では)。


帰宅後、 twitter で悲しみのツイートを見てしまいだめになりました(非ツイ参)(RTや言及をしていないので)(あまりのつらさで身動きができなかった)。

邪悪な人間は得性し、社会的にも成功し、息を吸うように意見をコロコロと変え一切恥じ入ることがない。そういうことなのです。しかし、それで人間を責めるのは酷というもの。すべては労の悪さ。労という場が生み出す悪意のなせる業なのです。

(弊の人間ではない)(念のため)。


あまりにもだめだったので夜中なのにメロンパンを摂取しました(糖分はうまい)。

だめの後は(だめの後とは)アフ!と異世界魔王を視聴。よさがありましたが、現世の虚無をうち消すには至りませんでした(現世の虚無はあまりにもつよく、わるい)。

明日を乗り切れば3連休ですが、休のよさも生の圧倒的な虚無の前ではなんら意味をなさないのではないでしょうか。

虚無につつまれて、寝ます。