流行を操作するのが重要だ

金曜日です。


今日も、失意の労。

出勤が解禁(?)されてからというもの、弊ではすっかり新コロは終わったコンテンツ扱いです。

終わったコンテンツ。

オワコン。

それ自体オワコン感のあるワード、オワコン(再帰的)。

この言葉をこれほど深く噛み締めることになるとは。


たびたび言及しているように、健常の者は(コンテンツとして)流行っているかどうかで物事を認識しています。

つまり、(コンテンツとして)流行らなくなった新コロは健常の者の世界線ではもはや存在していないのです。

実際に新コロが流行し、実際に犠牲者が出ていたとしても、です。

おお、なんということだ!

健常の者は(コンテンツとしての)流行を操作することで新コロに対する絶対的な防御を獲得してしまった。

こうなってしまえばもはや無敵。

いかなる手段を持ってしても、その防御を突き崩すことはできないでしょう。

終わった。

まさにオワコンです。

新コロ、お前はいいやつだったよ。いいやつほど早く(コンテンツとして)死んじまうなんて悲しいなあ!


何が言いたいかというと、次の出勤日にみんなで集合写真撮影しようぜうぇーい!的な話が発生してすっかり頭がおかしくなったということです。

メディアでさえ(形だけとはいえ)ソーシャルなディスタンスに配慮している昨今なのに、弊のこのスタンスの強さよ。

まあ、リスクがあるのでやめましょうという話をして中止してもらったんですが・・・。

話せばわかるのはいいことだし、人によって考え方が違うのだからそれで充分といえば、それはそう。

何も問題はない。

問題はないのですが。

我々にとってはコミュニケーションが発生した時点で負けなので・・・。

コミュニケーションが発生した時点で負けるような性能の個体がわるいのでは?

それはそう。

しかし、こちらとてそのような個体に生まれたくはなかった。

無限にコミュニケーションをしてカジュアルに性を得たい人生だった。

しかし、現実として、過度のコミュニケーションによって疲弊し身動きできずに横になっている私がいる。

何もかも出生ガチャがわるい。


・・・・


そういうわけで労は終わり、ラノベタイム。

董白伝2巻を読み進めました。キャラ成分と戦記成分のバランスがいいんですよね。読み応えがある。

主人公は男が幼女に転生した設定ですが、感覚的には男が幼女を主人公に選んでゲームをしている、というのに近い。

最弱主人公(幼女)で高難度モードをプレイしている感覚。


そういうわけでなんとか精神も持ち直し、今に至ります。

久々に本渡と千本木のガンガンGAちゃんねる(当然のようにソーシャルなディスタンスは保たれている)(くどい)が公開されたので見てから寝ることでしょう。

以上です。