気力なし、それでも労はやってくる

水曜日です。


労は考えることが多く、大変でした。

そもそも人生がよくなる可能性がもうないのに、なんで労をやっているのか感がすごい。

地球もなかなか爆発四散してくれないしな(過去日記参照)。


ツイで「コロによって、能動的に行動しても物事がよくならなくなったので、能動的に行動する気力がなくなった」的な記事を見ました。

コロ前は能動的に行動したら物事がよくなる種族、実在していたとは。

ふと気になってツイでアンケートをしました。

結果、やはり現世でいいことが起きるのはレアケースのようでした(日記を書いた時点では)(投票期間を1時間にし忘れて、デフォの24時間になっていた)。

一方で能動的に行動せずに、いいことも起きていないという人が半数。


私は前職(わるい社)であまりにもひどいめにあったせいで、「いいことが起きなければ割に合わない」という気持ちが芽生えてしまいました。

それで無理して能動的に行動し続けたのですが、結果何もいいことは起こらず。

もしわるい社に入ることがなかったら、能動的に行動せずに何も起きない人生を甘受することができたのか。はたまた結局いいことの起きない人生に苦しむことになったのか。

すべては謎に包まれています。


なんにせよ、いいことが起きてほしいという避けられない衝動に突き動かされて能動的に行動し、結局何も得られなかったのはあまりにも悲しい。

しかも私の言う「いいこと」もどんどん妥協が進んでいって、今では「パートナーを得たい」という一点のみを望んでいます。

こんな、多くの人間が達成できることを死にものぐるいで頑張っても得られない人生。

このような人生は、真のゴミといっても過言ではないでしょう。

人生 is truely KUSO.


労後はホラー女優2巻を読み進めました。

もはや一切の生きる気力なし、それでも労はやってくる。

以上です。