そういったことが頭を駆け巡り

火曜日です。


昨日、そこそこの早寝ができました。

なのでいい感じの起床。


そして、労。

iOS案件が一段落したので今日は穏やかな労。

のはずだったのですが、そうでもありませんでした。


懇親会を物理でやろうぜ的な動きがあったからです。

結果的に物理ではなくなりましたし(多分)、仮に物理になったとしても話のわかるチームなので欠席もできるとは思います(ありがたいことです)。

しかし、デフォルトで参加の気配があるイベントで欠席を表明するのは精神的な負荷が大きい。

その可能性が生じた時点で、私の精神はすっかり終わってしまいました。


(お気持ちここから)


懇親会によさを感じていない(悪さも感じていない)ので、多少なりともリスクがある状況で物理で会をやるのは、私にとってはマイナスでしかない。

懇親会によさを感じていない、というのは私には懇親の場で「いいこと」を引き出す力がないからです。

いいこと、というのは謎の人脈が発生するとかそういったものです。性の人脈であればなおよい(絵空事)。

物理出勤についても言えることですが、そういうのは「いいこと」を引き出せる人にしか益がないのだから、益がある人だけやればいい。

益がある人がいい感じの雰囲気になるためのモブキャラとしてその場に存在させられるのは、あまりにも悲しい。

ソシャゲだって課金者が気持ちよくなるためのモブには無課金で参加して貰っているのに、労の場ではモブにも主役と同じかそれ以上の負担を強いている。これはよくない。


チームメンバーと懇親するのは意味がある、という意見があるかもしれません。

しかし、はたしてそうだろうか。

私が前の社でひどい目にあったときに、ただのチームメンバーは特に助けてはくれませんでした。

それはいい。同じ場で労をしているだけの人間に、リスクを負ってまで助けてほしいとは思いません。

だが、一方で懇親する必要もないと思っています。

適切なコミュニケーションができて、かつ労の間雰囲気が穏やかであれば充分ではないか。

それ以上の懇親は必要だろうか。その懇親の延長には困ったときに助け合うような何かはない。

見かけの親密度を上げるだけの虚無の儀式に一体何の意味があるというのだろう。


まとめると「懇親会は無なので、やってもいいがリスクは減らしたい」ということですね。

例えば私が今から死ぬことがわかったとして「あ〜、社の懇親会に参加し続けてよかった〜」と思うことはない。

そう思ってしまったのだから、もう仕方がない。

ここまでの人生で、他人との関わりで一切のよさが生じなかったのだから、これ以上どうやって可能性を感じろというんだ。

リスクがないなら付き合いましょう、というのが私にできる最大限の譲歩です。


そういったことが頭を駆け巡り、精神が滅びへと向かったのです。


〜完〜


(お気持ちここまで)


労後はサイレント・ウィッチ2巻。

以上です。