火曜日です。
昨晩、スーパー早寝をしたので余裕の定時出社でした。
気分がよかったので朝から電車に揺られつつFEHをやりました。ヴァルター(インファナル)で惜しい所までいきましたが失敗しました。この戦いは労の場の昼休みに決着がつくことになるのですが、それはまた別のお話・・・(ツイ参)(マルチメディア展開)(????)。
労の場ではひたすらテンサーフ労でした。ツールはつらい。幸い、今のチームにはテンサーフロー(テンサーフ労ではない)に詳しい人がいるので随分楽をできているのですが、そうでなければこのような不毛なツール労はとてもやれなかったことでしょう。
今日はピアノレッスンがあったので早めの退社です。
レッスンメモ1. 弾けるようになってきたのでテンポアップ+強弱をやる。レッスンメモ2. これまで何気なくやっていた部分が怪しくなってきたので見直す。変にアクセントがついてる箇所があるのでやりすぎない。残りの譜読みをやる。レッスンメモ3. とにかくやる(?)。
そういえばレッスン時に講師の先生が poco ritardando を"ぽこりっと"と読んでいて味わい深かったので、機会があれば使いたいと思いました。
帰りの電車では、ふぉーくーるあふたーの読み進めをやりました。いよいよ終盤、壮大な謎が明かされつつあります。
帰宅後はFEHを楽しみました。またVPNGsを10章まで読みました。百合まってきた。
さて。
他日記で私の日記が日記勢には珍しく丁寧語で書かれているという言及がありました。そこでなぜこの日記が丁寧語で書かれているのかを語ろうと思います。
元々、EchizenBlog は自宅サーバを運用していた時代に遊びでブログを立ち上げたのがきっかけでした。
しかしブラック労(前職)のために精神が崩壊しサーバ運用のような疲れることはしたくないという気持ちが芽生え、はてなダイアリーに移行しました。これが EchizenBlog-Zwei です。これはブラック労からの撤退のためのプレゼンス向上を目的とした技術ブログでした。この Zwei までは丁寧語は使っていませんでした(のはず)。
その後いろいろあってはてなブログをやると得性できるらしいという噂を聞きつけて再度ブログの移行を行いました。これが EchizenBlog-Drei になります。この Drei も当初は技術ブログの予定でした。
さて、Drei に移行するにあたって私は記事を丁寧語で書こうと決意していました。これ以上「である」調で技術文書を書きたくなかったのです。というのも、世にある日本語の技術文書(主に日本語論文)のうち「である」調で書かれているものは質が低いものが多く、「である」調で文書を書くことは自身の成果を貶めているように思われたからです(完全に偏見であり、すべての「である」調の文章の質が低いわけではない)。
そんなわけで Drei は丁寧語で記事を書く運びとなったわけです。そして月日は流れ、技術ブログという概念が人々の記憶から失われつつある時代・・・。5労によって(寝不足で肌が)荒れ果てた世界でも希望を失わない人々は、それでも日々の営みを後世に残そうと日記を書き始めていました(?)。空前の大日記時代の到来です。
私もこの流れに乗るべく日記を書き始めました。Drei は元々丁寧語で書かれていた(こう書くとソースコードみたいだ)(プログラミング言語 丁寧)(Effective Tei-Nei)ので日記だけ文体を変えるのも不自然であるため、自然と丁寧語による日記の執筆が行われることになりました。
これが私が知る丁寧語日記に関する事実のすべてである(突然の「である」調の復活)(いかがわしさの演出)(何の意味があるのか?)(意味は無い)(我々の人生に意味は無いのだ)。願わくばこの文書が私の生きた世代の文化を後世に引き継ぐ一助とならんことを。
以上です。寝ます。