スペースを覗いてすぐに去りました

土曜日です。


労ダメージがすごく、ふらふら起床。


なんとかピアノをやりました。コードをいろいろ試しています。

やっぱりスタート地点に立てる(何がわからないかがわかる)と楽しい。

才能がない人間はスタート地点に立つまでにものすごい労力が必要なのだ。

なお、私はまだ社会のスタート地点に立っていないので、社会は何がわからないのかわかりません。


Navarro本をやりました。

22/7計算中を見ました。

聖戦の系譜を進めました。


生まれてはじめてツイのスペースを試しました。

声優ラジオのウラオモテ(ラノベ)の作者がスペースをやっていたからです(ちょっと覗いてすぐに去った)(こういうリアルタイム音声コンテンツは苦手)。


そういえば今日、声優ラジオのウラオモテの5巻を買いました。あとがきで作者が声優さんの現場の取材をしている的な話が書いてあったのがよかった。

私の記憶が確かなら(現世では使う機会がないフレーズ)1巻の段階ではそういうのはなかったと書いてありました。作家デビューしたことでそういう機会を得られたということだと思うのですが、これは労のよさですね(私は労のアンチだが、労のよさも公平に評価している)。3巻から急に作品の描写がよくなったので、たぶん取材の效果なんだろうな〜とか思ったりしています。

なんにせよ作品が面白くなるのはすばらしいことです。あとこれほど有益なラノベが打ち切られずに5巻まで出ているのもすばらしいことです。これが令和なんだよな。

私も令和に生まれていれば幼少期に最高のラノベを無限に読みつつ、社会に出るころには労が完全に滅んでいるという最高の人生を歩めたのに……(あと数年でカタストロフが起きて労が完全に滅びる想定)(ポジティブシンキング)。


ここで読者は労が滅んでいるのになぜラノベが存在するのかと疑問に感じたかもしれない。

労滅後の世界では、ラノベを書きたいと思った人間があらゆる制約から解放され自由にラノベを書くことができ、そこに労性は存在しない。そのようにして生み出されたラノベは次世代のマッチングシステムによって、読みたい人間が容易にアクセスできるようになっているのだ。

Thing of ESORA(絵空事)。


以上です。