そう、人は社会を知って虚無になる

木曜日です。


連休初日なのでゆっくり起床。

しかし、労ダメージで異様に疲れていました。

これが広義の土曜日(cf. 広義の金曜日)の力か・・・。


ハノンbot(過去日記参照)になった後はNavarro本を読みました。


アサルトリリィの舞台映像が配信されていたので視聴しました。

小説で予習していたので人物把握がスムーズにできました(よい)。

小説版とは物語の流れはやや異なるものの、キャラの性格や設定などは共通(たぶん)のようですね。

内容も簡潔にまとまっていつつ、自然な形で設定の説明があったり、キャラごとの見せ場も用意されていていい感じでした。あとバトルシーンがめっちゃかっこよかった。


そういえば、老に近づいてようやく社会が少しずつわかってきた感があります。

なので今日の舞台映像もそうですが、様々なコンテンツを摂取しているとひたすらすごさを感じてしまい「みんなすごいな〜天才かよ」と思ってしまいます。

かつての私は社会力が健常の者の足元にも及ばなかったので、すごさを理解するレベルには至っていなかった。ただただ、よくわからないし社会怖いなという感じでした。

こうしたわかりを得ると、自分には欠けているものがあまりにも多いのだなと感じますね。そうはいってもそれらを得たり維持するための労力を考えると何もせずに家でごろごろしているのが最強ではという気持ちになってしまいます。

かつてはどうやったらすごさを得られるのかと思い悩んだりもしましたが、曖昧だったすごさが具体性を帯びてくるにつれて「あっこれ無理なやつだ」ということがわかってしまうんですよね。

まあそれはそれとしても、健常の者はおそらく10代のうちにこの境地に達していたのでしょうね。それであれば、なんらかの努力をするなり諦めるなりの決断はできる。

しかし私はこの歳になるまで社会がまったくわからず、決断をする材料が得られない状態だった。

このような迷った状態では何をすることもできない。ただ、恐怖に怯えて毎日を暮らすしかなかったのです。

しかしいまや私はわかりを得つつある。

そう、私には人生は無理だったのだと。

その結果、一切の迷いはなくただ穏やかな気持ちで家でごろごろするようになったのです。


だが。

それでも性を得たいという気持ちに身を焦がす夜はある。

それが分不相応な大それた願いだったとしても・・・。


以上です。