人類は悲しいだけの存在だ

金曜日です。


なんとか出社しました。

出社するなり、sudden communicationがありました(遺憾)。

なんとか乗り切ると新手のsudden communicationが(遺憾)。

これもなんとか乗り切ると新手の以下略(遺憾)。


そうこうしているうちにPRML読み会の時間になりました。8章が終わりました。よい。

8章の終わりの方で「雰囲気だけ述べる」みたいな文章が出てきて面白かった。


読み会から戻るとさらなる sudden グワーッ(発狂)。

それでもなんとか捌ききり開発労をやってレビュー依頼をすると、そもそもの設計に関して新たな意見が・・・。

設計レビューは事前にやってあったのですが、それでも実物を見ると新たな意見が出てしまう。

これが人間の知性の限界です。どれだけ知性を持った人間でもこれをやってしまう。それは私とて例外ではないでしょう。

人間は・・・労をやるには早すぎたのだ・・・。なぜ・・・人は・・・なぜ・・・。

まあ今日出てきた意見自体は大変建設的なものだし、変更の労力に対して得られるメリットのほうがはるかに大きいように思われるのでそれはそれでよいのです。たいへん納得しています。開発が進んでいるからと意見を押しとどめてしまうよりははるかによい。

しかし、人間の知性の限界が、あまりにも悲しい。そう、人類は悲しい存在なのだ。

人はなぜ生きるのか・・・。


そういうわけで帰りの電車ではぐったりしていましたが、なんとか「王女殿下はお怒りのようです」2巻をわずかに読み進めました。

帰宅後は盾の勇者を視聴。「相手の防御力に比例したダメージを与える技」という視覚化困難な技がアニメで披露されていてよかった。作り手の苦労が偲ばれます。

そして次回は最終回。サブタイトルが「盾の勇者の成り上がり」だったのでよかった。最終回サブタイトルがタイトルのアニメは名作。

寝ます。