ものごとは「わかり」を得ると面白い

日曜日です。


起床しピアノとRust本。

のち、ミュークルドリーミーを見ました。


他、人生に対する虚無から、無限にぐったりしつつソシャゲをしていました。

そういえば、今リズムゲーを3つやっています。

リステップ、ナナオン、ピアノ(ピアノは音ゲーにカテゴライズされるという世界観)(世界観?)。

このうちナナオンは最近サービス開始されたものですが、ナナオンをやるようになってからリステップとピアノの実力が目に見えて改善されています。

リステップやピアノでは見えにくかったなんらかの性質がナナオンによって可視化され、それによって何らかの「わかり」があったように思います。

SEKIROのジャスガ訓練によってシャニの目押し力が上がったときも「わかり」がありました。

こういった「わかり」を得た瞬間というのは楽しい。

私がものごとをやるモチベーションは主にこのあたりにあるようです。他日記でピアノのモチベーションに関する話題が出ていたので、ふと思い出しました(自明他日記参照)。

そういうわけなので、ツールのように「わかり」のないものごとは全く面白くない。

いいか、おれは世界を「わかり」たいんだ。

世界どころか性もさっぱりわかりませんが・・・。


以上です。