エルデンの「ゲームをやっているな」感

木曜日です。


労をやりました。

iOSがなんとかなったのでよかった。

人生もなんとかなってほしい。


労の場で、与えられた場所で頑張るより自分に合う場所を探すほうがいい、みたいな話がありました。

それはそう。

性だってそう。よくわからん清潔感とやらを身につけるより、自分をいいと言ってくれる人を探したほうがいい。

問題は探す労があまりにもつらいということなんだよな。

人生の早い段階で当たりを引きたい人生だった。


労後は順列都市

人工生命の研究領域が「圧倒的リソースで生命そのもの模倣する」「生命の振る舞いを近似する」「現実の生命を扱うことをやめて、単純化された生命で成り立つ仮想世界を作る」という3つの流派にわかれているという設定が出てきました。いかにもありそうで上手い。

他にも計算機リソースを入札式で獲得するとか、行動履歴によって個人に最適化されたサービスとか、本当に1994に書かれたのかこれ?という感じの設定がたくさん出てくる。すごい。

なお翻訳者は「口座にログオンする」とか翻訳しているレベル。そのレベルでよくこの作品を翻訳できたな……。(もしかしたらaccountを口座と翻訳しないと気がすまない謎のこだわりがあったのかもしれないが)

というか標準的(かどうかは知らないけど)な翻訳者にとってアカウントというワードが一般的でない時代の作品なんですよね。その時代にこんな設定の作品が。すごい。


エルデンリングのアップデートがきていました。

労の間にアップデートを済ませておいたので、労後はスムーズにゲームができます。在の力だ。

魔法が全般的に強化されたらしいので楽しみ(私が今持っている初級魔法は強化の対象ではなかったが)。

それにしてもエルデンリングは楽しい。

倒せないボスが出たときに、どこが足りていないのかを考えて、そこを強化する方法を求めて世界を探索する。

そういうことをやっていると、ゲームをやっているな〜という気持ちになります(それはそう)。

SEKIROはプレイヤーが上手くなれが結論なことが多く、それはそれで楽しいですが、エルデンリングのように解法が無限にあるゲームもいいものです。


以上です。