久々のお気持ち日記(斜陽編)

金曜日です。


5労を完遂するべく、敢然と労に立ち向かいました。

ここで自然に導かれる事実として、早寝ガチャには失敗していることに読者は注意されたい。


出社すると、労の場は慌ただしい空気に包まれていました。

というのも今日はチームの席変更のための荷造り労があるからです。

そういうわけで申し訳程度に労(狭義)(a. k. a. 仕事労)をやった後は適当に荷造りをやりつつ無限に開閉労。

理想労だ・・・!

そうそう、労はこういうのでいいんだよ(何が?)。


さらには荷造りも早めに終わり、既にPCも梱包していたので仕事ができない感じになりました。

ここでかつての私であれば残業ポイントを稼ぐために定時まで開閉労をしていたところです。

しかし、今の私は裁量労働の身。堂々と退勤をキメました。

実質労ができない状態であれば、早めに帰っても道徳的には問題がないというわけです。

理想労だ・・・!(1パラグラフぶり2回目)


帰りの電車では「アキトはカードを引くようです」2巻を読み終えました。2巻はずっとバトルをしている回だったので文章で読むとそんなによさはないなという感じでした(ツイッター真面目勢には明らかなことだが、私は戦闘描写を頭でイメージできない)。アニメだったら普通に楽しめたと思うのですが。3巻はどうしようか。


そんなこんなで帰宅後は横の構えで自身の内なる声に耳を傾けていました。

無をやっていた、とも言います。

そういえば今年もAdvent Calendarの時期になりましたが、投稿はおろかデータ構造とアルゴリズムのAdvent Calenderを読むことさえできていません。

というのも労が結構忙しい感じになっており、休日にルーチンワークをする程度の余力しかないからです。

今の労は、上手くいけば世の中的に意味があるタイプの労なので、ちゃんとやっておきたい(私は労の疲労性よりも虚無性を問題視しているので、意味のある労であれば許容できる)。

ルーチンワークを一旦停止してAdvent Calenderを読もうかな。うむむ。

意味のある労であっても労は労。5労では満足に休めないし、休日にいろいろやるのは無理ゲーです。

かつて休日にいろいろやっていたころも普通に無理をしていたので、突発的に社を休んだりするなどの弊害を生んでいました(今は計画的に月曜や水曜に休んでいる)。

社会の側<ソーシャル・サイド>の人間は他人の人生の一部だけを切り取って見て、あいつは努力してるとかしていないとか下らないことを言い出すので最悪ですよね(急に怒りを表明していくスタイル)。

本当はデータ構造とアルゴリズム的な労ができれば(休日は休に専念できるので)よいのですが、そのような労は全然見つからないんですよね。

とにかくもう充分に努力はやったから、はやく何もしなくてもいい感じになる人生を配布してくれってことですよ。


どんなに暗い夜もやがて明ける。

無は唐突に終わりを迎えました。

そこでリステDDのBD6話(コメンタリと本編)を見ました。オルタンシア回です。最高!いえーい!(無からの回復でテンションが異様に高い)。

オルタンシアといえば中の人が体調的な理由で変更になるということがありました。

しかし現時点でも初代キャストでアニメとライブ映像がものとなって世の中に残っているのはすばらしいことです。

人生はつらく厳しいが、人生のよい瞬間を切り取ったなんらかが作品として世の中に残るならそれを糧にその後の人生を生きることもできるのではないでしょうか。

私にはそういうものがない。強いて言うなら今の労がいい感じに成功して、それになってほしい(個人の成果物というわけではないけど、まあ凡人の私はそう多くを望むものではないということでしょう)。

なお、私は死後には一切の意味がないと考えているので、死後に評価される系のやつにはまったく興味はありません。

あくまで、死までの期間をよさで満たすためのなんらかを人生のどこかで生み出しておきたいという話です。

以上です。